Masuk竜虎と清婉、そして偶然出会った朎明たちは都の外れ、竹林の中にある姮娥の邸に向かいながら、都の事に関して知っていることを話し合っていた。
姮娥の一族には姮娥の一族のやり方があり、部外者に知られたくないこともあるだろう。それを理解した上で、竜虎は言葉を選んで訊ねる。
「それで、薊明宗主の具合は? 他の術士たちは?」
歳の近いふたりは最初こそ敬語だったが、途中からはそれぞれ話しやすい話し方に変わった。前を歩く朎明の足がぴたりと止まる。少しして竜虎たちの足も止まった。
「母上には会えていない。姉上は問題ないと言うけれど、私は実際にその姿を見ていないから断言はできない」
「蘭明殿がそう言うなら、心配ないんじゃないか?」
別に楽観的に言っているのではなく、噂に聞く宗主の長女蘭明は、聡明なだけでなく人当たりも良いので、公子たちの間でも評判が良かった。
実際、竜虎も何度か言葉を交わしたことがあったが、いつでも優しく笑みを浮かべている、おっとりとした美しい女性だった。
逆に目の前にいる朎明は、あまり表情が変わらず言葉数も少ない、寡黙な美人という感じだ。特に目元が宗主にそっくりで、背も竜虎とほとんど変わらない。
白笶を女性にしたような感じと言えば、想像がつくだろう。今日はだいぶ話している方だ。いつもは姉や妹の言葉に頷いているか、短く答えるくらいで、無口というか大人しい印象がある。
弓の腕が五大一族の中で一番優れており、三姉妹の中で唯一、姮娥の一族の特別な力を受け継いでいた。つまり長女の蘭明ではなく次女である彼女が、次期宗主候補なのだ。
「君は、あんなところでなにをしていたんだ?」
「······私は、」
朎明は身体半分だけ後ろを向いて、そのまま視線を地面に向ける。なにか言いたげなのがわかるが、話しづらいのだろうことも見て取れた。
「俺たちでよければ力になれるかもしれない。白群の白笶公子も一緒なんだ。邸の前で合流する。その時まででいいから、考えておいて欲しい」
「······わかった」
朎明は再び前を向き、止めていた足を再び動かす。陽も暮れ始め、外は薄暗くなってきていた。
清婉はそんなふたりのやり取りを黙って見ていた。公子たちの話に従者が割り入るのは本来は禁じられている。そもそも公子たちと普通に言葉を交わしていること自体、あり得ないことなのだ。
無明たちがあんな感じで、白群の人たちも気軽に話しかけてくれていたので、清婉は随分と長い期間忘れていた。
(無明様たちは、従者である私をなぜか守ってくれる。私が彼らにしてあげられることはあまりないけれど、)
それでも彼らが怪我をしたり悲しい思いをするのだけは嫌だった。無明を蔑んでいたあの日々を、時間を戻せるならやり直したい。だが時間は戻らないから、それ以上に尽くすことで少しは許されるだろうか。
(許すも許さないもないのかも······)
そもそもそのことについて、無明は「反応が面白くて、つい、」と言っていたのだ。それが本音かどうかはわからない。
(竜虎様も、危険を承知で自身を盾にして守ってくれたし、)
あの巨大な黒蟷螂のことを思い出すと、今でもぞっとする。足手まといにはなりたくない。そんな気持ちが清婉の中で大半を占めていた。それでもついて行くと決めたのだ。物理的には無理でも、違う意味でふたりを守れるように。
あの日、碧水の市井で雪鈴と雪陽に貰った、白い鞘に銀の装飾の付いた守り刀を胸元で握りしめる。お守り代わりにと貰ったその守り刀が、なんだかずっしりと重く感じた。
✿〜読み方参照〜✿
無明《むみょう》、白笶《びゃくや》、竜虎《りゅうこ》、朎明《りょうめい》、蘭明《らんめい》、薊明《けいめい》、清婉《せいえん》、雪鈴《せつれい》、雪陽《せつよう》
白群《びゃくぐん》、黒蟷螂《くろかまきり》、市井《しせい》、碧水《へきすい》
蘭明のその意図が解らず、竜虎は思わず訊ねる。「失礼を承知でお尋ねします。どうしてこのふたりは良いのですか? 蘭明殿もご存じの通り、この者は金虎の第四公子。ご迷惑をおかけするのは目に見えております」 あらあら、と蘭明はおっとりとした口調で小さく笑う。そして右頬に手を当て、可愛らしく小首を傾げてみせた。「ええ、ですからある意味安全なのです。失礼ですが、そこの白笶兄様は立っているだけで女子の目に毒ですし、竜虎も私たちの間では秀外恵中で有名なお方。おふたりには宿を手配致しますので、宗主の許可が下りるまではどうかそのように、」 有無を言わせぬその口調は、やんわりとしているのにどこか強制的だった。「あははっ! 白笶も竜虎も残念だねっ」 そんな中、無明がくるりと回って蘭明と竜虎たちの間に躍り出る。いたずらっぽく人差し指を口元に当てて、白笶に向けてなにか合図を送っているようだった。 そんな無明の変化に気付いていたのは竜虎と白笶だけで、清婉はひとり慌てていた。(また無明様がおかしくなってるっ!?) 久しぶりの痴れ者状態に、目の前の宗主代理と名乗る人当たりの良さそうなお嬢さまの様子を窺う。しかし思っていた事態にはならず、寧ろにこにことその姿を眺めているようだったので、清婉はとりあえず安堵した。「お姉さん、俺、お腹すいちゃった!」「ふふ。ちょうど夕餉を用意していたので、一緒にいただきましょう」 無明は三段ほどの石段を駆け上がり、蘭明を見下ろして幼い子供のようににっこりと笑った。「ほら、清婉《せいえん》も早く早くっ」 大きく手を振って呼ぶ主と竜虎たちを交互に見て、清婉は竜虎の方に指示を仰ぐ。こちらの方がずっとまともな答えが返ってきそうだったからだ。「無明に従え。いいか、なにかあればあいつに従うんだ」「は、はい! え、なにかって?」「いいから、とりあえず、黙って行くんだ」 小声で囁く竜虎は、視線は真っすぐ門の方を見据えていた。その意味が何を指すか、清婉に解るはずもなく。とりあえず、生返事をして小走りで門の方へと向かった。「朎明、あなたはおふたりをご案内してあげて? あと、余計なことは口にしない事。これは姮娥の一族の問題なのだから、」「········はい、······わかりました」 朎明はなにか言いたげだったが、やはり逆らえないのか蘭明の指示に従
竜虎たちが邸の大きな門の前に辿り着いてから少しして、無明と白笶が姿を現した。外は薄暗くなっていて、ふたりがそこに現れる前に、門にぶら下がっている左右の灯篭に火が灯されていた。 「大丈夫か?」 思わず無明に訊ねていた。それくらい顔色が悪い。今は白笶の横に立っているが、ここに着くまでは背負われていて、灯りが見えた頃に下ろして欲しいと頼まれたのだ。「へーきへーき。それより、このひとは?」「姮娥の一族の宗主の次女で、朎明殿だ。朎明殿、こいつは俺の義弟で第四公子の無明」「無明です、どうぞよろしくっ」「はじめまして、無明殿。お久しぶりです、白笶兄さん」 背の高い少女を見上げ、無明はわざとらしく雑に腕を前で囲い揖する。 朎明は無明と、その後ろに控えるように立つ白笶に丁寧に挨拶をした。白笶も同じく挨拶を交わす。ふたりの関係は従兄妹で、現宗主の妹が白笶の今は亡き母だった。「白笶兄さんが玉兎に来るのは、十年ぶりですね」「······ああ。そうだったな」 どちらも口調が平坦で抑揚がない。白笶の左横で、無明はふたりを交互に見つめる。「ふたりって雰囲気が似てるね!」 竜虎は思っていても口にしなかったが、率直に無明が言葉にしたので、おい、と肘で腕を突いた。 そんな中、朎明は無明を下から上にかけてまじまじと見つめてくる。それはどこまでも無表情に近かったが、どこか不安げな表情に見えなくもない。 首を傾げて無明は大きな翡翠の瞳で朎明をじっと見上げると、はっと我に返ったかのように首をぶんぶんと振っていた。「あ、······えっと、姉上に報告してきます。皆さんは、もう少しここでお待ちください」 きちんと礼をし、朎明は門の半分を開いて中へ入って行った。無明たちが揃ってからでいいと竜虎が言ったため、今まで一緒に外で待っていてくれたのだ。「で、······どうだった?」 竜虎は無明に耳打ちする。無明は頷く代わりに笑みを浮かべて応えた。そうか、と安堵して、それ以上はなにも訊かなかった。白虎との契約は滞りなく行われたようだ。後は目の前の問題を解決するのみ。「竜虎、都で情報はなにか得られた?」「ああ······疫病の発生時期とか、始まりがどこだったかとか、あと、もうひとつの問題も、」「それって、失踪事件のこと?」 なんでそのことを? という目で竜虎は無明の顔を見てく
竜虎と清婉、そして偶然出会った朎明たちは都の外れ、竹林の中にある姮娥の邸に向かいながら、都の事に関して知っていることを話し合っていた。 姮娥の一族には姮娥の一族のやり方があり、部外者に知られたくないこともあるだろう。それを理解した上で、竜虎は言葉を選んで訊ねる。「それで、薊明宗主の具合は? 他の術士たちは?」 歳の近いふたりは最初こそ敬語だったが、途中からはそれぞれ話しやすい話し方に変わった。前を歩く朎明の足がぴたりと止まる。少しして竜虎たちの足も止まった。「母上には会えていない。姉上は問題ないと言うけれど、私は実際にその姿を見ていないから断言はできない」「蘭明殿がそう言うなら、心配ないんじゃないか?」 別に楽観的に言っているのではなく、噂に聞く宗主の長女蘭明は、聡明なだけでなく人当たりも良いので、公子たちの間でも評判が良かった。 実際、竜虎も何度か言葉を交わしたことがあったが、いつでも優しく笑みを浮かべている、おっとりとした美しい女性だった。 逆に目の前にいる朎明は、あまり表情が変わらず言葉数も少ない、寡黙な美人という感じだ。特に目元が宗主にそっくりで、背も竜虎とほとんど変わらない。 白笶を女性にしたような感じと言えば、想像がつくだろう。今日はだいぶ話している方だ。いつもは姉や妹の言葉に頷いているか、短く答えるくらいで、無口というか大人しい印象がある。 弓の腕が五大一族の中で一番優れており、三姉妹の中で唯一、姮娥の一族の特別な力を受け継いでいた。つまり長女の蘭明ではなく次女である彼女が、次期宗主候補なのだ。「君は、あんなところでなにをしていたんだ?」「······私は、」 朎明は身体半分だけ後ろを向いて、そのまま視線を地面に向ける。なにか言いたげなのがわかるが、話しづらいのだろうことも見て取れた。「俺たちでよければ力になれるかもしれない。白群の白笶公子も一緒なんだ。邸の前で合流する。その時まででいいから、考えておいて欲しい」「······わかった」 朎明は再び前を向き、止めていた足を再び動かす。陽も暮れ始め、外は薄暗くなってきていた。 清婉はそんなふたりのやり取りを黙って見ていた。公子たちの話に従者が割り入るのは本来は禁じられている。そもそも公子たちと普通に言葉を交わしていること自体、あり得ないことなのだ。 無明たちがあんな
無明がした生返事を承諾の意として、少陰はパンと小さな手を正面で叩き、そのまま突き出すように前に広げる。 途端、無明の足元に白い大きな花の形の陣が現れる。それは本物の花が咲くように、大きな四枚の花びらが中心で開き、そのまま身体を呑み込むように覆って閉じてしまった。 人ひとり呑み込んだその白い花は、大きな蕾になり、一瞬にして静寂が訪れる。「妙に急いでいるように思えるけど、なにかあったの?」 逢魔は最初こそ敬語だったが、その後はいつも通りに人懐っこい口調で少陰を見下ろす。 「お前たちも見て来たであろう? あの都を。病鬼が現れ、疫病を撒いた。だが現状、問題はそこではないのじゃ」「どういうこと?」 少陰は頭が痛いとでもいうように、片手でこめかみを押さえて大きく息を吐き出す。口には尖った牙がちらり見える。「十人の少女たちがひと月半前くらいから次々に失踪していて、未だ行方がわからん。数日前から姮娥の宗主の三女も行方知れずになった。怪異なのか人の手によるものなのか、妾はここを離れられんので解決してやることも叶わない」「ひと月半くらい前っていったら、」 無明たちが紅鏡を出て、碧水に着いた頃である。これは偶然だろうか? それともこれも企みのひとつだと言うのか。 逢魔は白笶に視線を送ると、同じことを考えていたのか小さく頷いた。偶然などではない、と。「けれども、それと病鬼がどう関わって来るんだろうね? バラバラに切り離して考えるべき?」「都でなにか情報が得られていればいいのだが、」 少女たちの失踪はひと月半ほど前くらいから、最初は十日ほど置きに、次は五日置き、三日置きとどんどん間隔が縮まり、十人目で止まったらしい。 その後に疫病が流行り、代わりに失踪は止まった。しかし三日前に急にまたひとり増え、しかもそれは姮娥の宗主の三女だなんて。「でも少陰姐さんはどこでそんな話を聞いたの?」 ふと、疑問が浮かぶ。神子の命がない限り、この堂を離れられない少陰は、都のことなど知る由もないだろう。千里眼があるわけでもない。「それは、ここによく来て手入れをしてくれる寡黙な少女が、妾の堂の前で訴えたからじゃ。姮娥の宗主の次女だったか。事情は詳しく訊かずとも触れれば大体わかるからの、」「大胆なことをするよね、姐さんは」 見えないとしても、普通の人間に触れるだなんて。一応神
玉兎の都から西へ進むと、竹林の中に整えられた大道があり、その先に白帝堂という、白虎と宝玉を祀った堂がある。 宝玉だけを祀った玄帝堂や、普通の人間が行けないような場所にある太陰がいた玄武洞と違い、そこには大きくはないが立派な堂が建てられていた。 この差はいったい······と無明は心の中で同情したが、逢魔が言うには太陰は拝まれるのが煩わしいらしく、人が出たり入ったりするのを嫌がっていたようで、始まりの神子がその意を汲んだのだという。 この堂の管理は姮娥の一族が行っており、よく手入れされていた。白虎少陰はこの堂の屋根の上でいつもは寝ているらしい。しかしぐるりと一周してみてもその姿は見当たらなかった。「少陰姐さ〜ん?」 逢魔が遠慮なく堂の扉を開け、中を覗き込もうとしたその時、なにかがものすごい勢いで向かってくるのに気付き、すっと反射的に避けた。 その丸まった白い物体はくるくると宙で回転し、少し離れた場所にいた無明と白笶の正面に綺麗に着地した。「あ、えっと、はじめまして?」 自分よりもずっと小さい幼子の姿をしたそれに、思わず声をかける。 十歳くらいの少女の姿をしたそれは、肩の辺りで切り揃えられた真っ白な髪の中に、左右ひと房だけ黒い髪が混じっており、その頭の天辺には白いふさふさの猫のような耳が付いていた。 指先が見えないくらいの袖の長い白装束を纏い、首に赤い紐飾りを結んでいて、そこにぶら下がっている金色の鈴がリンと鳴る。「逢いたかったぞ、神子!!」 言って、その猫耳の幼女が無明の腰に抱きついてきた。灰色の大きな瞳が期待の眼差しで見上げてくる。 目の錯覚でなければ、白と黒の模様が入った尻尾がゆらゆらと揺れているのが視界に入る。 ど、どうしたら? と隣にいる白笶に助けを求めるが、首を振られた。 その理由はすぐに判明する。「神子、こいつとはさっさと縁を切れとあれほど言ったのに、今世でもつき纏われておるのかっ!?」「は? え? ······つき、纏う?」「そうじゃ! 妾の神子を穢したこの華守の罪、赦すまじ!!」「けが········え?」 白笶が右手で目の辺りを覆い、俯いていた。神子との永遠の輪廻の契約を解っていて、わざと言っているのは明らかだった。 そう、少陰は昔から華守である白笶を目の敵にしていた。 無明が見ていないのを良いことに、
夕刻まであと一刻半ほど。 無明たちは姮娥の一族の邸に向かう前に、都の状況を把握するため、無明と白笶、竜虎と清婉の二手に分かれた。 二手に分かれたのは都の状況を見て回るためだけではなく、無明が白虎の所へ行く口実を得るためであった。もちろん民からの話も重要なので、情報収集という意味では大事な役割を担う。 竜虎と清婉は人ひとり見当たらない市井を歩き、固く閉じられた二階建ての宿の扉を叩く。 低い建物が多い中、数少ない大きな建物であったが、後ろに広がる竹林の竹はそれ以上に背が高く、ここから見上げると宿の屋根の上に緑の葉が生えているように見える。「すみません、だれかいらっしゃいますか~」 清婉が竜虎の代わりに声を張って呼びかける。とんとんと扉を叩いても反応がなかったからだ。「旅の者なのですが、少しでかまわないのでお話をお聞きしたいのですが~」 少し間をおいて奥の方から足音が聞こえてきた。扉は開くことはなかったが、隔てた先で「旅のお方でしたか、このままでよろしければ、」と中年の上品な口調の女性の声が返ってきた。「私たちは紅鏡から来たのですが、玉兎の都はいったいどうしてこんな状態になってしまったんです?」 清婉が続ける。竜虎は先に話し合い、何をどう聞くかを打ち合わせていた。こういう状況なので、やんわりとした口調の清婉の方が、相手に対して警戒心を抱かせにくいだろうと考えての事だった。「せっかく紅鏡から来てくださったのに、なんのおもてなしもできず申し訳ございません。私の知っていることでしたらお話致します」「ありがとうございます。途中立ち寄った皓月村で耳にしたのですが、数日前から疫病が流行っているとか、」「······いいえ。正しくは、もっとずっと前です。確かに都がこのような状態になってしまったのは数日前ですが、始まりは十数日前。半月経たないくらいでしょうか。最初は誰もそれが疫病だなんて思ってもいませんでした」 女将らしき女性は嘆息し、疲れた声で話し出す。彼女の話を聞いていくつかわかったことがある。都が廃都のようになってしまったのは、姮娥の一族の宗主と数名の術士が倒れてから。 それが数日前の話。 十数日前、最初にその症状を発症させたのはとある商家の夫婦であること。都中に広まっている疫病だが、全員が罹っているわけではなく女将のように無事な者もいるそうだ。